目次
1.はじめに
文中の語句や文そのものをもう一度書くとき,同じ言葉を使うことを避けて代名詞を使うことがあります.会話や一般の文章では,先行する語句・文(代名詞の前にある語句・文)にごく近いときは「これ」を,少し離れているときは「それ」を用います.
科学技術文(理系文)でも,もちろんそのように使います.例を示しましょう.
高電圧,大電力で軽量という特徴をリチウムイオン二次電池は持つ.これは携帯電話など多くの電子機器に用いられている.
「これ」はすぐ前の「リチウムイオン二次電池」を指します.近距離にあるので「これ」を使っています.
世界の平均気温は産業革命以降上昇し続けている.現在,それは産業革命前と比べて約1℃上昇している.
「それ」は前文の「世界の平均気温」を指しています.この言葉は少し離れた位置(中距離)にあるので,「それ」が用いられたのです.例文1も2もごく普通の使い方です.
しかし,理系文ではすぐ前の語句・文を指すときに「それ」を使うことがあります.その使い方を調べてみると,「それ」の使い方には興味深い特徴があることがわかりました.そこで,本稿は理系文における代名詞「これ」と「それ」の使い方の特徴について説明します.
なお,「あれ」は理系文では見当たりませんので,本稿では取り上げません.
2.理系文における「これ」と「それ」の使い方
1)調査対象と調査方法
ある学会の機関誌の解説論文9報,およびあるオピニオン誌の科学技術に関する論文4報(いずれも同一月度のもの)を調査しました.代名詞「これ」と「それ」(含む複数形「これら」,「それら」)の使用頻度とそれらが指している対象を調べ,その特徴を求めました.
2)調査結果
「これ,これら」と「それ,それら」の使用頻度
「これ,これら」と「それ,それら」の学会機関誌(9報)とオピニオン誌(4報)の出現回数を表1に示します.
学会機関誌では「これ,これら」が多く使われており,「それ,それら」の出現頻度は低いです.それに対してオピニオン誌では両者ともほぼ同等の頻度です.これが一般的な傾向なのか,現時点ではよくわかりません.今の段階では調査データを述べるに留めます.今後さらにデータ数を増やしてみたいと思っています.
使い方の特徴
今回の調査で明らかになった「これ,これら」と「それ,それら」の使い方の特徴を,表2に示します.参考のため会話での使い方も示します.また,括弧内に略号を示します.
「これ」は直前の語句や文を指します.理系文でも会話や一般的な文章と同様の使い方です.私たちには自然に受け止められます.例は例文1に示しましたので,ここでは割愛します.
一方,「それ」の使い方は,4種類に分類されます.
①中距離の「それ」
先行する語句・文で,「それ」とは少し離れているものを指します.会話では「それ」は中距離のものを指しますから,心理的に納得できます.例を例文2に示しましたので,ここでは割愛します.
②客観的指示の「それ」
「それ」はすぐ前の語句・文を指すこともあります.その語句や文を客観的に示したいと書き手が考えているとき,「それ」を使います.「それ」は中距離の言葉を指しますので,そこから対象を少し離して見るという感覚になり,客観的指示になったと考えられます.
化学電池は,正極,負極および電解質からなる.以下,それらについて詳述する.
「それら」は,すぐ前の「正極,負極および電解質」を指します.「これら」ではなく「それら」にすることにより,「正極,負極および電解質」が少し距離をおいた語感になり,客観的になります.
③注意喚起の「それ」
「それ」がすぐ前の語句・文を指すときのもう一つの使い方は,読み手に注意喚起したい語句・文を指すことです.本来なら「これ」を使うのですが,「それ」を使うことにより,読み手に注意を向けさせる効果があります.この用法のとき,「今こそ~べきだ」,「匹敵する」や「~ではない」など強調語,比較する言葉や否定語を伴うこともあります.
リチウムイオン二次電池は電解液に有機溶媒を用いているので,発火の危険性がある.今こそ,それを改良すべきだ.
「それ」はすぐ前の「発火の危険性」を指します.「それ」とすることにより,「発火の危険性」に読み手の注意を喚起させる効果があります.
④定型句の「それ」
理系文でよく使われる定型句としての使い方もあります.
Mg2+イオンのイオン半径は71pmであり,Li+イオンのそれは73pmであり,Mg2+と同程度である.
この例文のように,理系文では「Aのαは・・・,Bのαは・・・」とA,B両者を対比させて記述することがあります.このように書くとき,「Aのαは・・・,Bのそれは・・・」として後ろのαを「それ」とします.AとBの属性であるαについて対比させて記すときの定型句です.
3)使い方による「それ,それら」の使用頻度
「それ.それら」の使い方による出現回数を調べ,表3に示します.
今回の調査では,学会機関誌は中距離,注意喚起と定型句の「それ,それら」が使われており,注意喚起はありませんでした.学会機関誌という性格上客観的な記述に徹しており,冷静で合理的な文章です.そのため注意喚起がないのかもしれませんが,サンプル数が少ないので断定できません.
一方,オピニオン誌では定型句はありませんでしたが,中距離と客観的指示に加えて,注意喚起も使われています.それらの効果により,読み手の注意を喚起して説得力のある文章になっています.
したがって,上で述べた「それ,それら」の特徴をうまく使うと,読み手が容易に理解すると同時に,説得力があり印象深い文章をつくることができます.
3.まとめ
1)代名詞「これ」,「それ」(含む複数形「これら」,「それら」)は,文章中で同じ言葉を避けるために使われます.会話や一般の文章では,先行する語句・文にごく近い(近距離)ときは「これ」を,少し離れている(中距離)ときは「それ」を用います.科学技術文(理系文)でも同様です.
2)しかし,理系文ではすぐ前の語句・文を指すときに「それ」を使うことがあります.その使い方は特徴的で次の4種類に分類されます.それぞれ例文を示して説明しました.
①中距離の「それ」
先行する語句・文で,「それ」とは少し離れているものを指します.一般的な文章や会話と同様です.
②客観的指示の「それ」
「それ」はすぐ前の語句・文を指すこともあります.その語句や文を客観的に示したいと書き手が考えているとき,「それ」を使います.
③注意喚起の「それ」
「それ」がすぐ前の語句・文を指すときのもう一つの使い方は,読み手に注意喚起したい語句・文を指すことです.
④定型句の「それ」
理系文でよく使われる定型句としての使い方もあります.
3)「それ,それら」の特徴をうまく使うと,読み手が容易に理解すると同時に,説得力のある印象深い文章をつくることができます.
以上
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