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推敲は「消すことによって書く」 ―大江健三郎に学ぶ推敲の方法―

目次

1.はじめに

文章を書く人はどんな人でも,読み手にわかりやすくて説得力のある文章を書きたいと思っているでしょう.科学技術文(理系文)でも同じです.
しかし,それはなかなか難しいです.スラスラと流れるように一度で完成稿を書ける人はほとんどいないと思います.

草稿を書き,それを数回推敲して,ようやくできあがった完成稿も何となく不満だが締め切りなので提出するという経験を,多くの人は何度もしているでしょう.文章を書くとき,推敲はとても重要です.推敲がサクサクと進めば誰も苦労はしません.

しかし,一般的には推敲は時間がかかる割にはうまくいかないものです.そもそもどのように推敲を行えばよいのか,よくわからないで取りあえず草稿をいじくり回すだけかもしれません.

推敲については,ブログ「研究レポートの推敲・助言・指導の方法」に少し述べました.

また,拙著「理系のための文章術」(化学同人,2015年)の106~110ページにも記してあります.

推敲のやり方を学ぶもう一つの方法があります.それは文章の達人が推敲をどのように行っているのか,その例を調べることです.それを知れば私たちの参考になります.

2.大江健三郎の推敲

ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は,小説「洪水はわが魂に及び」を書いているとき,自分自身の執筆過程を分析して,著作「文学ノート:付=15篇」(新潮社,1974年)(以下,文学ノート)を著しました.その中に推敲について述べた章があります.

その内容を一言で言えば,「消すことによって書く」です.何だ?!それは,と思われたかもしれません.確かに,書いたことを消してしまえば,何も残らないではないか,と言われそうです.

でも,そうではありません.それは自分の言いたいことをより明確にし,適切な文章に仕上げる優れた方法なのです.

大江は小説を書くときの推敲について述べましたが,大江の説くことは私たちが理系文を書くときにも応用できます.

3.推敲の必要性

いまさら述べるまでもありませんが,私たちが理系文を書くとき,草稿を書いてそのまま提出することはあり得ません.必ず推敲して文章を練り上げ,自分なりに論理的でわかりやすくなった(と思われる)文章を提出します.

推敲とは,草稿を完成稿に練り上げるプロセスです.つまり,一貫した論理構成を持ち,明晰でわかりやすく,誤字脱字と冗長文のない文章に仕上げることです.私たちは草稿=完成稿とすることはほとんど不可能と言ってよいです.

なぜなら,私たちは草稿を書く段階では論理がまだ一貫しきれていませんし,適切な言葉と文章をすべて思い浮かべることができないからです.それは,推敲する中でなんとか考えつくことなのです.だから,推敲は文章作成には必須です.

4.大江の推敲

1)推敲の意義

大江は「文学ノート」で推敲の意義について次のように述べています.

加筆訂正を続けていくあいだに・・・しだいに明確に,いったい自分はなにを表現することをねがって,この第一稿を書いたのかということを理解しなおすことになる.(p.148)

私たちにとっても,これは真実です.私たちも報告書や提案書は読み手(上司など)に報告したいこと,理解してもらいたことや自分の主張を伝えるために書きます.

大江の「なにを表現することをねがって」は,「なにを伝えたいとねがって」や「なにを理解してもらいたいとねがって」と言い換えると私たちの気持ちにピッタリです.

2)「読む人」として推敲する

推敲は書いた人が行います.しかし,「書く人」としての自分が行うのでしょうか?

書き手だから当然でしょ,と思うかもしれません.しかし,大江は,「書く人」としての立場ではなく,「読む人」として自分の第一稿を読むべきと言います.

「書く人」としての自分から,「読む人」としての自分を,つとめて独立させる方向にむけられねばならない.「書く人」から「読む人」を切り離すことは,現にかれがまだ仕事中の小説から手を離していない以上,もっとも具体的な自己批評となるであろう.その操作自体が,それからの書きなおし作業をつらぬく全体的な自己批評の基軸となることはいうまでもない.(p.137)

大江は,第一稿と第二稿における「書く人」と「読む人」の立場を以下のように図解しています(p.136).ここで,aは第一稿,bは第二稿です.

aでは,「書く人」としての自分が書くだけです(書いている小説から影響を受けるので相方向に矢印が引かれています).ここでは「読む人」が入る余地はありません.

しかし,bでは「書く人」として書いた自分の小説を,あたかも第三者が書いたものとして,「読む人」である自分が読み,自己批評します.その結果を「書く人」である作家自身にフィードバックします.それを受けて,「書く人」である自分は第二稿に着手します.

これは重要な指摘です.上の図の「小説」を報告書などの「理系文」に置き換えると,理系文の作成でもピッタリ当てはまります.

私たちは「書く人」として報告書などを書きます.当たり前です.でも,それを読むのは報告書の提出先の人です.
多くは上司や関係者ですし,顧客の場合もあるでしょう.「読む人」に報告書の内容を理解してもらえなければ,報告書を作成した意味がなくなります.だから,「読む人」の立場で自分の書いたものを読みなおし,「読む人」の立場で理解できないところや表現のおかしなところを見つけ出すのです.

大江はそれを「自己批評」といいました.私たちはどうしても自分の立場を離れることは難しいです.自分が自分が,と言いがちです.

大江はそうではない,自分の書いたものを読んでもらう相手の立場に立って,自分を見なおすべきと説いているのです.そうすることによって,ようやく自分の文章を客観的に見ることができるのです.

ただし,今はやりの忖度(そんたく)すること,つまり相手におもねることではありません.それでは自分がなくなってしまいます.そうではないのです.
 
しかし,「読む人」の立場に立つことはなかなか難しいです.大江は言います.

小説の書きなおし作業にあたって,「書き手」としての自分から,「読み手」としての自分を切り離し,引き剥がすことは,とくに若い作家にとって,また作家たろうとしている人間にとって,いちばん厄介な仕事,苦痛をともなう作業なのだ.(p.137)

そのとおりです.相手の立場にたつことは口で言うほど簡単ではありません.上司の立場?顧客の立場?自分は上司でも顧客でもないのですから,ピンと来ないでしょう.上司や顧客の顔を思い浮かべて,言っていることや立ち居振る舞いを思い出すと,相手に近づくことができ,相手の立場に立てます.

3)推敲の方法

まずどこに着目して推敲を始めるのでしょうか.

そこで「読む人」としての作家による,第一稿の検討は,まずその小説が作家の肉体=意識につながっているところ,よりかかっているところを摘出することにこそむけられねばならない.つながっているところを切り離し,よりかかっているところには,それ自体で自立している新しい突っかえ棒をあてて,小説を独立させ,それ自体の足で立たしめるように,「読む人」は第二稿の「書き手」である作家自身に,信号をおくらねばならない.(p.138)

文章は書き手の頭脳から生まれますから,その人の意識(立場)が現れます.目の前の事実を客観的に見ていると言っても,書き手の立場から見たものです.データの解釈は科学的と認識していますが自分の思い込みを反映しますし,エビデンスは公平に選んでいるはずですが自分の主張に近いものを知らず知らず選んでいるかもしれません.

また,考察はデータとエビデンスに基づき厳密に行っているはずですが,論理がつながらないところ,無理な論理展開や強引な結論づけがあるかもしれません.自分の立場から書いているからです.大江はそれを「作家の肉体=意識につながっているところ,よりかかっているところ」と文学的に述べています.

それは相手の立場にたつことにより見つけられます.客観的になるからです.そうすると,事実を客観的に見て,データを科学的に解釈でき,エビデンスを公平に選べるようになり,論理的に十分考察できます.それが「独立させ,それ自体の足で立たしめる」ことだと大江は述べます.

これらができれば,あやふやな表現の文章を見つけられるでしょう.それは,独立しておらず,それ自体の足でたっていないものです.別の言葉で言えば,論理的でない文章です.次の引用文では「あいまいな一行」と書かれています.それを改訂します.

あいまいな一行は,絶対にそれを正確な一行にかえねばならぬ.そのためには書きなおしを繰り返さねばならぬ.しかしどうしても正確な一行をきざみ出しえないならば,むしろその一行をまったく削除してしまったほうがいい.そのようがあいまいな一行よりも,表現的●●●である.・・・・
第二稿の原則は,書き加えること●●●●●●●により,消すこと●●●●によって文章の表現力をきわだたせていくことなのである.(強調は大江)(p.150)

大江は推敲の重要なポイントを述べています.私が解説するまでもありませんが,屋上屋を重ねることをいとわず説明します.

「あいまいな一行」は,読み手に理解してもらいたいこと(それは書き手が主張したいことのはずです)が十分に書かれていないところです.自分でも納得していないところです.だから,それは「正確な一行」,つまり書き手の主張が明確に書かれた文章に変えねばなりません.

そのためには,「書きなおしを繰り返」えします.言葉,文章と表現法を何度も変えます.これがよいか,あれがよいか,と選択できるようになればしめたものです.

でも,なかなかそうはいきません.大江は言います.それができないのなら,「その一行をまったく削除してしまったほうがいい」と.あいまいな表現で自分も納得していない文章は,いたずらに文章をいじくるより,思い切ってバッサリと削るのです.フレッシュな気分になって,もう一度自分の言いたいことを考え直して,書き直します.これを繰り返して第二稿をつくります.

しかし,せっかく書いた文を消すことは難しいです.もったいない気がしますし,文章の量も減ってしまいます.文章が短くなると報告内容が乏しくなる気がします.でも,そうではありません.理系文はできるだけ簡潔であることも求められます.もちろん,必要なことがキチンと書かれていなければなりませんが,横道にそれたり,同じことが繰り返し出てきたり,まわりくどい表現が続く冗長文は,避けるべきです.そうならないためにも,不必要な文は消すことが大事なのです.

事実,大江はこの小説「洪水はわが魂に及び」の作成においては,「冒頭からの数章と末尾に近い数章」が大きく改訂され,「いくつかの章はまるごと削られ」,「ほとんどすべての章が,他の章と結びつけられた上で再構成され,全体の三分の二の枚数に組みかえられた」のです.完成稿に入らなかった15篇を「文学ノート」の付録として付けています.私たちは大江の推敲の一部を今でも見ることができます.

大江のように,完成稿は第一稿より短くなるのがよい文章作成法です.理想的には第一稿は完成稿の1.2~1.5倍程度の分量がよいと思います.草稿は言いたいことをドンドン書いていき,推敲過程で削除するのです.

しかし,その逆で長くなっているかもしれません.その場合は,第一稿の準備が不足しているのです.データが揃っていない,エビデンスが十分集められていない,考察が足りない,結論があやふや,などが要因です.これらを十分集め吟味してから,第一稿を書き始めます.それでも実は不足しているのです.第一稿を改訂する中で,エビデンスを補充したり,グラフや表を書き直したり,論理展開を考え直したりして,自分の主張をまとめていきます.

どうせ論理展開を考え直すなら,準備不足でもとりあえず書き始めればよいと思うかもしれません.しかし,それはNGです.それでは,文章や論理展開を何度も大幅に考え直さねばなりません.それは頭脳と根気を疲れ果てさせますし,予想以上に時間がかかります.報告書が書けなくなってしまうかもしれません.第一稿はできるだけ準備をしてから書き始めることを勧めます.
 

5.まとめ

大江健三郎が自分の小説の推敲過程を記録した著作「文学ノート」から,大江の推敲のポイントを述べました.それは理系文の推敲でもそのまま当てはまりますし,大いに参考になります.


推敲は,「書く人」の自分ではなく,「読む人」として行います.
そうすることにより,自分の文章を客観的に見ることができます.

推敲は,まず「作家の肉体=意識につながっているところ,よりかかっているところを摘出」します.つまり,自分の思い込みを反映したデータの解釈,自分の主張に近いエビデンス,論理がつながらないところ,無理な論理展開や強引な結論づけを見つけます.これらが改訂する箇所です.

改訂して書き手の主張を明確に書きます.それには第一稿のあいまいな文章を消して,文章を書きなおして,自分の主張に近づけます.この作業を繰り返して完成稿を仕上げます.

以上

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①重要な部分をカラーにして強調したり,ポイントを枠で囲むなどして,ビジュアルな誌面とし,内容をつかみやすいようにしています.

②日本語の構成と特徴を述べ,次いで理系文の構成と特徴を,日本語文のそれと比較しながら述べ,両者の違いがわかるように配慮してあります.

③科学技術文の構成と特徴を「理系文法」として体系化したので,科学技術文の書き方を体系的に困難なく習得することができます.

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