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科学技術とは何だろうか(1) フランシス・ベーコンの学問(勉強)観

目次

1.はじめに

 フランシス・ベーコンという哲学者がいました.ベーコンは中世から近世へと時代が大きく変革する時代(16~17世紀)に,大きな足跡そくせきを残したイギリスの法律家と政治の実務家であり哲学者です.17世紀イギリスの国政を担いながら,当時の学問を一新させることを構想したり,科学の推論である帰納法を提唱するなど,思想界でも大きな業績を残したスケールの大きな人物です.

 しかし,現代ではベーコンを知っている人は少ないかもしれません.学校の授業であまり出てこないからです.確かに哲学史や科学史でベーコンに触れることは少ないです.ベーコンを知っていても,おそらく「知は力なり」の格言,“ノヴム・オルガヌム(新機関)”の著者や帰納法の発見者として,でしょう.でも,いまベーコンの先駆性が再評価され,その業績が見直されています.

 それはさておき,ベーコンは多くの著作を著しました.学問の革新を構想しただけあって,学問の意義や価値について,“随想集”,“ノヴム・オルガヌム”や“学問の進歩”などの著作で何ヶ所にわたって述べています.それは現代の私たちが読んでも,当を得たもので参考になるところ大です.学問というと肩肘張って構えてしまうかもしれませんが,私たちが何かを勉強しようとするときの指針となります.

 いま私たちは現代という大きな変革期にいます.私たちは新しい時代を創り上げるため,リスキリング(学び直し)が強く求められています.しかし,単に表面をなぞってテクニックだけを学んだのでは,すぐに陳腐化するでしょう.大事なのは本質に迫るところまで学ぶことです.ベーコンの学問に関する文章は,そのような勉強を後押ししてくれます.そこで,本稿はベーコンの学問に関する文章を集めて,解説を付けました.

2.学問(勉強)について “随想集(Essays)”より

 ベーコンは“随想集(Essays)”を書いています.1597年に第一版を出版し,1612年に第二版,1625年に第三版と改訂版を出しています.

 エッセイという文学の1つの形式を創ったのはモンテ-ニュで“エセー(Les Essais)”がそれです.日本語では随筆や随想と呼ばれ,広辞苑(第七版)では「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章」と説明されています.確かに日本語で「随筆」というとこのような文章が該当しますが,筆者は「あるテーマについて,著者の考えや思いを心のおもむくままに記した文章」と言ってもよいと思います.「心のおもむくままに」と記したのは,話がときどき本筋から離れることがあるからです.

 ベーコンはモンテーニュに倣って,エッセイをイギリスで初めて書き,“随想集”にまとめました.イギリスにおけるエッセイはベーコンから始まったのです.邦訳は“ベーコン随想集”(渡辺義雄訳,岩波文庫,1983年)があります.「真理について」や「談話について」など「○○について」という題名で,○○についてのベーコンの考えを簡潔で軽やかだが考えさせる文章で述べています.

 その第三版に「学問について(Of Studies)」というエッセイがあります(フランシス・ベーコン著,渡辺義雄訳,“ベーコン随想集”,岩波文庫,1983年,pp. 218-219). それを,一部割愛しましたが,以下に引用します.訳本では表題が「学問について」となっていますが,「勉強について」でもよいと思います.なお,文中の〔 〕は訳者が補った言葉です.

学問について

 学問は〔思考の〕楽しみと〔弁論の〕飾りと〔仕事を処理する〕能力のために役立つ.楽しみのためになる学問の主な効用は,私生活と隠退時にある.飾りのためになる主な効用は,会話にある.そうして能力のためになる主な効用は,仕事についての判断と処理にある.熟練した人は仕事を一つ一つ片づけ,おそらく細かい点について判断を下せるであろうが,全般にわたる勧告,業務の計画および整備は,学問のある人々から最も適切に出されるからである.

 学問に時間をかけすぎるのは怠慢である.それを飾りのために利用しすぎるのは気取りである.何もかも学問の規則で判断するのは,学者の習性である.学問は本性を完全にし,経験によって完成される.生来の能力は自然のままの植物のようなものであって,学問による刈り込みを必要とするからである.また学問そのものは,経験によって抑制されなければ,余りにも漠然とした指図を与える.すばしこい人間は学問を軽蔑し,単純な人間はそれに感嘆,賢い人間はそれを利用する.学問はそれ自身の使用法を教えないからである.しかし,それは学問外の,学問以上の,観察によって得られた知恵である.

 〔読書について述べると〕反論し論破するために読むな.信じて丸呑みするためにも読むな.話題や論題を見つけるためにも読むな.しかし,熟考し熟慮するために読むがよい.ある書物はちょっと味わってみるべきであり,他の書物は呑み込むべきであり,少しばかりの書物がよく噛んで消化すべきものである.すなわち,ある書物はほんの一部だけ読むべきであり,他の書物は読むべきではあるが,念入りにしなくてよく,少しばかりの書物が隅々まで熱心に注意深く読むべきものである.書物のなかには,自分に代わって読んでもらってよいものがあり,ほかの人に抜粋を作ってもらってよいものがある.しかし,それは余り重要でない議論やつまらない種類の書物に限るべきである.そのほかの摘要書は気のぬけた蒸留水のようなもので,味気ないものである.読書は充実した人間を作り,会話は気がきく人間を,書くことは正確な人間を作る.それゆえ,ほとんど書かない人は,強い記憶をもつ必要があり,ほとんど会話しない人は,即座にきかす機転をもつ必要があり,ほとんど読まない人は,知らないことを知っているように見せる多くの才気をもつ必要がある.

 歴史は人々を賢明にし,詩人〔の作品〕は才気煥発にし,数学は明敏にし,自然哲学は考え深くし,道徳は厳粛にし,論理学と修辞学は議論好きにする.学問は性格となる.それどころか,適切な学問によって除かれないような知能の障害もしくは故障は存在しない.それは身体の病気に適切な運動があるのと同じである.(以下割愛)

 簡潔でリズミカルな文章ですが,読み飛ばしてしまうと何も残りません.立ち止まって考えることが求められます.

 蛇足になるかもしれませんが,以下に解説します.上の文章を読んでわかったという人には以下は不要です.

 第1パラグラフは,まず,学問(勉強)は何の役に立つのか,を述べます.それは3つあります.①学問は「思考の楽しみ」です.つまり学問をすれば,私生活でも隠退した後でも,ものごとを考えることは楽しくなると言います.②学問は「弁論の飾り」と言います.つまり,学問をすれば,人と会話するとき,うまく話をしたり,筋道通った話ができます.③学問は「仕事を処理する能力」つまり判断力と処理能力を養うと言います.学問をすれば仕事をテキパキとこなし,成果を生み出すことができるのです.ベーコンは続けます.「熟練した人は仕事を一つ一つ片づけ,おそらく細かい点について判断を下せるであろうが,全般にわたる勧告,業務の計画および整備は,学問のある人々から最も適切に出されるからである」と.そのとおりと思います.

 次の第2パラグラフは,最初に,学問(勉強)に対する私たちの取り組みについて述べます.「学問に時間をかけすぎるのは怠慢である」と時間をかけすぎるのを諫め,「飾りのために」学問をするのは「気取り」であると斜め目線で言い,「何もかも学問の規則で判断するのは,学者の習性である」と,学者をからかいます.このあたり,ベーコンの筆は踊っています.

 次に,真面目なことを言います.「学問は本性を完全にし,経験によって完成される.生来の能力は自然のままの植物のようなものであって,学問による刈り込みを必要とするからである.また学問そのものは,経験によって抑制されなければ,余りにも漠然とした指図を与える」のです.「学問による刈り込み」とは知識を整理して体系的に習得することですし,「経験によって抑制」されるのは,何事も書いてあることが正しいのではなく,学問の成果を実践して(経験して)修正する(抑制される)ことが大事だと言っているのです.

 続けて,おもしろい表現があります.以下に示します.

すばしこい人間は学問を軽蔑し,
単純な人間はそれに感嘆,
賢い人間はそれを利用する

 名文と言ってよいでしょう.この文は,中国の古典“老子”の一文(第41章の一部)を思い出させます.東洋思想研究者井筒俊彦さんの訳で言葉の順序を変えて以下に示します(井筒俊彦訳,“老子道徳経”,慶應義塾大学出版,2017, p.13)

低級の人物は,<道>を聞くと,笑い出す
中級の人物は,<道>を聞くと,半分は信じ,半分は不信の様子だ
最も優れた度量の人物は,<道>を聞くと,熱心にこれを実践にうつす

 学問≒道とすると,意外にも中世・近世の西洋と古代中国に親和性が生まれます.

 次の文章「学問はそれ自身の使用法を教えないからである.しかし,それは学問外の,学問以上の,観察によって得られた知恵である」は至言と思います.学問をどのように使うのかは学問自身の問題ではなく,学問をする人の問題であり,他者と社会を観察することによって得られた知恵を持つ人は学問をうまく使えるのです.

 第3パラグラフに行きましょう.ここは読書について述べます.このパラグラフは本を読むことのポイントを実に簡潔に述べています.「反論し論破するために読むな」.そのとおりです.読書は相手をやっつけるためのネタ探しではありません.それを読書とは言えません.でも,このようなネタ探しは必要な時もありますので,付け加えておきます.「信じて丸呑みするためにも読むな」.そのとおりです.本に書いてあることを何でもそのまま信じて鵜呑みにするのでは,読書の意味はありません.「話題や論題を見つけるためにも読むな」.ここは異論があります.このような読み方もOKと筆者は思います.ベーコンは次の「しかし,熟考し熟慮するために読むがよい」を導き出したくて,前の文を入れたのでしょう.次の文は本の選択です.長くなりますが,以下に示します.

ある書物はちょっと味わってみるべきであり,他の書物は呑み込むべきであり,少しばかりの書物がよく噛んで消化すべきものである.すなわち,ある書物はほんの一部だけ読むべきであり,他の書物は読むべきではあるが,念入りにしなくてよく,少しばかりの書物が隅々まで熱心に注意深く読むべきものである.書物のなかには,自分に代わって読んでもらってよいものがあり,ほかの人に抜粋を作ってもらってよいものがある.しかし,それは余り重要でない議論やつまらない種類の書物に限るべきである.そのほかの摘要書は気のぬけた蒸留水のようなもので,味気ないものである.

 そのとおりと思います.「よく噛んで消化すべき」本,つまり熟読すべき本は少ないです.それを見抜くためには多くの読書が必要です.買って失敗したという経験を積まないと,つまりある程度出費をしないと,本を選ぶ目は養えません.ここにコスパはありません.本屋さんに行って,直感的におもしろそうだと思った本は迷わず買うとよいです.この経験が大事だと思います.「そのほかの摘要書は気のぬけた蒸留水のようなもので,味気ないものである」の「摘要書」は,名著の重要なポイントのみを抜粋して要約した本や,やさしい言葉で大雑把なことしか書いていない本です.重要なポイントのみ示されても,それがなぜ意味を持つのか,なぜそのように考えねばならないのか,は著者の思考の道筋を読者も一緒に辿っていかないと,本当に理解できません.上っ面だけをサラーッとなぞってもそれは身に付きません.まさに「気のぬけた蒸留水のようなもの」です.

 上の引用文に続けて,「読書は充実した人間を作り,会話は気がきく人間を,書くことは正確な人間を作る」と言います.そのとおりです.読書は人の心を豊かにしますし,会話はうまい話題を思いつかせるし,文章を書くことは自分の思いを論理付けします.
次の文はベーコンのユーモアまたは皮肉と思います.以下に示します.

それゆえ,ほとんど書かない人は,強い記憶をもつ必要があり,ほとんど会話しない人は,即座にきかす機転をもつ必要があり,ほとんど読まない人は,知らないことを知っているように見せる多くの才気をもつ必要がある.



 第4パラグラフに移りましょう.最初の文はそのとおりと思います.

歴史は人々を賢明にし,詩人〔の作品〕は才気煥発にし,数学は明敏にし,自然哲学は考え深くし,道徳は厳粛にし,論理学と修辞学は議論好きにする.学問は性格となる.

 学ぶべきものは,歴史,詩,数学,自然哲学(自然科学),道徳(倫理学),論理学と修辞学(2つで論理学)と言います.「詩」は現代では詩,小説やエッセイなどの文学作品と考えるとよいです.修辞学は当時では重要な学問でしたので,ベーコンは記したのでしょう.現代では論理学と考えるとよいです.随分幅広いですが,自分の好みで興味を持ったところから始めるとよいと思います.

 次の文も解説は不要でしょう.知能にとって学問は,身体にとっての運動と同じだと言うのは,言い得て妙です.

それどころか,適切な学問によって除かれないような知能の障害もしくは故障は存在しない.それは身体の病気に適切な運動があるのと同じである.


3.学問(勉強)の価値と効用

 学問の価値と効用については,上のエッセイだけでなく“学問の進歩”(1605年刊行)でも述べています.ベーコンの言葉を聞いてみましょう.以下の文章は,ベーコン著,服部英次郎,多田英次訳,“学問の進歩”(服部英次郎訳者代表,“ワイド版世界の大思想II-4ベーコン”,河出書房新社,2005年)から引用しました.

 学問はわれわれ人間に大きな価値があるとベーコンは述べています.

学問は精神の素質を改善して,欠陥があっても,それをそのままかたまらせたり固定させたりせずに,たえず発達することができ改善を受けることができる.(第1巻8・2,p. 55)

 それに対して,学問のない人はへたな草刈人と言います.

自分自身を吟味し,あるいは自分の責任を問うことがどういうことであるかも知らず,・・・(自分の)長所を増すために大いに学ぼうとはしない.また,・・・(欠点を)改善するために大いに学ぼうとはしない.かれはたえず刈りつづけてはいるが,けっして鎌を研ぐことをしない,へたな草刈人に似ている.(第1巻8・2,pp. 55-56)

 学問(勉強)することは大事だとわかります.鎌をとがない草刈人とはおもしろい言い方です.

 そして,知識と学問は楽しみであり喜びでもあると宣言しています.

知識と学問の楽しみと喜びについて言えば、他のどんな楽しみと喜びにもまさっている.・・・知識には,飽くということがなく,たんのうと欲求とが,たえず交替できるのであって,それゆえに,知識は,正真正銘,無条件に,それ自体善であるように思われる.(第1巻8・5,p. 57)

 だが,勉強嫌いな人も多いです.何よりも時間がないと言って敬遠する人たちです.その人たちに対して以下のように言っています.

学問はあまりにも多くの時とひまをくうという意義の申し立てについては,わたくしはこう答える.ずばぬけて思いきり活動的な忙しいひとにも,・・・手すきの時間はたくさんある.・・・そうであるなら,問題は,ただその手すきのひまな時間をどうふさいですごすか,快楽のうちにすごすか,それとも研究のうちにすごすかということだけである.(第1巻2・7,p. 17)

 ベーコンはすきま時間(手すきの時間)を遊びやひまつぶしに使わないで,勉強することを勧めているのです.この文章は現代のビジネスパーソンにもピッタリ当てはまります.すきま時間の使用を17世紀のベーコンが言っているのには驚きました.ベーコンが現代的なのか,人が進歩していないのか・・・.

4.まとめ

 哲学者フランシス・ベーコンは,中世から近世の変革期に法律家・政治家として活躍した実務家であると同時に,学問の一大改革を構想したり帰納法を提唱したイギリスの哲学者です.ベーコンは学問すること(勉強すること)について,“随想集”に「学問について」というエッセイを載せています.また,“学問の進歩”にも学問すること(勉強すること)についての考えを述べています.それらはいずれも至言であり,格言としてもよいものもあります.

 ベーコンの学問に関する文章は,なまけ心の私たちの背中を押してくれますし,本質を学ぶための指針ともなります.本稿はベーコンの学問に関する文章を集めて,解説を付けました.勉強がイヤだと思ったときにひもといてみると,勉強に戻る気持ちになるのではないでしょうか.

以上

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